国際女性デー に寄せて 〜 『We Should All Be Feminists/みんなフェミニストでなきゃ』

国際女性デー に寄せて 〜 『We Should All Be Feminists/みんなフェミニストでなきゃ』

昨年、パートナーと一緒にブライダルチェックを受けました。ふたりそろって生殖機能を改善する必要があり、子どもを授かるには体外授精がマストとのこと。泣いても叫んでも、「子どもが授かりにくい」という事実は変えられないので、新しい経験としてポジティブに事実を受け止めました。
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BOODYのECサイトをご覧のみなさま、初めまして。外資系IT企業に勤務しつつ、学生向けキャリアアドバイザーをしているMEGです。国際女性デーのスペシャルコラムへお声がけ頂き、大変嬉しく思います。また、今このコラムを読んでいる全ての方に少しでも楽しんでいただければ幸いです。

不妊治療を通して感じた「助けてほしい」の言いづらさ

昨年、パートナーと一緒にブライダルチェックを受けました。夫婦ともに、いたって健康的な生活をしていたのですが、ふたりそろって生殖機能を改善する必要があり、子どもを授かるには体外授精がマストとのこと。泣いても叫んでも、「子どもが授かりにくい」という事実は変えられないので、新しい経験としてポジティブに事実を受け止めました。

しかし、体外授精のプロセスは、女性にとっての身体的・精神的・経済的負担が想像以上に大きいです。まず、不定期での通院と、卵子を増やすための毎日の注射。採卵前の薬の副作用による仕事中の集中力の欠落。採卵直後、部分麻酔とはいえど不安と痛みで失神。そして、毎月の積み重なる膨大な医療費。毎日パートナーがそばで支えてくれていても、負担はやはり想像以上のものでした。

身体のこともメンタルのケアも全部一人でやれると過信し、そばにいるパートナーにも、親友にも、家族にも、「いま、自分のことでいっぱいいっぱいで少しツライ」と言えずに、不妊治療を行っていました。ところが、採卵直前の不安で私の中のピーンと張り詰めた糸が切れ、発狂するように泣き崩れ、パートナーに「毎日の薬と度重なる通院に加えて、家事も仕事も犬のお散歩も今までみたいに完璧にできないよ」と自分なりの言葉で伝えました。自分のできないことを誰かに助けてもらうことが、私自身をこんなに楽にするとは知りませんでした。

「助けてほしい」が言えない理由

私は、学生の時から「女性の社会進出」を全力で応援していて、「パワフルで力強い女性リーダーになる」ことを夢に見ていますし、絶対になるんだと今も思っています。

今回、私が不妊治療中に助けを早い段階から求められなかった理由は、助けを求めることが他の女性たちの足枷になってしまうのではないかと思い込んでしまったからです。世の中の女性たちは、仕事・家事・子育て・勉強全てを完璧にこなしていると思っていました。しかし、私はそれらを完璧にこなせず、いっぱいいっぱいであることに後ろめたさを感じました。心のどこかで、【パワフルで力強い女性=全て自分でなんでもこなす】と勝手に自分の定義を作り出していたのしょう。

「女性だからできてあたりまえ」な妊娠がそう簡単にできない。

「女性だからできてあたりまえ」な家事も完璧にこなせない。

「女性だからできてあたりまえ」なマルチタスクもろくにできない。

そうやって自分自身で女性に対してラベルを付けていたのは、他でもない私なんだと気づきました。

みんなフェミニストでなきゃ

The problem with gender is that it prescribes how we should be rather than recognizing how we are. Imagine how much happier we would be, how much freer to be our true individual selves, if we didn’t have the weight of gender expectations.

Chimamanda Ngozi Adichie, We Should All Be Feminists

これは、ナイジェリアの作家であるChimamandaさんが幼少期から感じたジェンダーの差について言及した本「We Should All Be Feminists」の一文です。彼女は、性別による期待の重荷がなければ、私たちがどれほど幸せになり、本当の個人の自分でいることがどれほど自由になるか想像してみてください、と読者に問いかけます。

この本と出会ったのは数年前ですが、前述にもあった通り、不妊治療で心も身体もいっぱいいっぱいだった時に、再度この本を読み直しました。そこで私は再認識をしました。

女性だからできてあたりまえ」なんてない。Chimamandaさんが言う通り、性別による社会的な重荷なんて必要ないんだと。

「女性」だからといって子どもを産むとは限らない。

「女性」だからといって一人で不妊治療と戦わないといけないなんて限らない。

「女性」だからといって家事をしなきゃいけないとは限らない。

「女性」だからといって助けが必要な時に声をあげちゃいけないなんて限らない。

女性が助けを求めやすい環境を作ることで、家族・人間関係がより良いものになると思います。日々ニュースで流れてくる、虐待・ネグレクトなどの目を塞ぎたくなるような事件も、はたしてそこには女性の「助けて」を真摯に受け取ってくれる人はいたのだろうかと考えさせられます。ひとりひとりが女性の「助けて」に耳を傾けて、女性の生きやすい環境を作り出すことで、より女性が女性でいることを自由に感じる瞬間が増えてくれればいいなと日々願っています。

今日から、周りにいる女性に対して「なにかできることはあるかな?」と一言声をかけてみてあげてください。十分立派な社会貢献だと私は思います。

また、いまこのコラムを読んでくださっている女性のみなさん、助けを求めることは何も後ろめたいことではありません。自らの声で「助けて」と声をあげてみてください。

 

 

プロフィール


学生時代にサンフランシスコに留学。アメリカ・日本で大学を卒業し 、新卒で現在の外資系IT企業へ就職。2022年結婚。現在は夫とボーダーコリーと海の近くで暮らしている。